言葉のおもちゃ箱

心を通過した言葉を綴っています

【詩】あの頃

いつものことだけれど

あの日のことをこんな風に思い出すなんて

思いもしてなかったよな

いきなりあかるく

いきなりあふれかえって

僕は驚いて息をのむ

あらがいようのない記憶の中で

 

母の作った卵焼きの味

暇潰しに眺めてたマンションのエントランス

汗で濡れたえりあし

風のにおい  風の音  自転車のグリップ

あの坂を下る時はいつも息を止めていた

世界一孤独で

世界の真ん中くらいに不幸だと思ってたなあ

学生服を着ていたあの頃

 

でも不思議なのは

君のことをもうはっきりとは

思い出せないことだ

あんなに探して  あんなに見つめて

見ていないときでも心の中でなぞって

いつか触りたい小さな手とか

いつか聞きたいやわらかな胸の曲線の奥の

心臓の音とか

考えて考えて考えて

僕は毎晩夢の中で君に会っていたよ

世界一不恰好で

世界の真ん中くらいに幸福だと思っていたなあ

学生服を着ていたあの頃

 

きっかけはなんでもいい

朝目覚めた瞬間とか

電車で座っていて爪先を眺めてる時とか

頭の中の小さな小さな箱が開くんだ

あの日のことをこんな風に思い出すなんて

思いもしなかったよなあ

なんでもないふりして窓の外を見てる

いつかこの景色も思い出すのか

僕の体のどこかにしまいこまれて

唐突にぱっくりと僕を飲み込むのか

 

君のこと  ひとつだけ思い出したよ

鞄についたリンゴのキーホルダー

息を止めた坂道ですれ違った時

僕の手の甲をやさしくかすめていったんだ

風のにおい  風の音  自転車のグリップ

学生服を着ていたあの頃